「気持ちの成長」という観念はありえるのだろーか
 知性や感性においてでなく、もっと原理的即時的な気持ちにおける成長とは




 私は今までの人生で、深い悲しみや、絶望的な喪失や、恋の確信などを得たことがありません。そのことが、私という人間の薄っぺらさを基礎づけているように思えてならない。軽薄であるし、すぐひとを軽蔑する。これはなにも私の自己嫌悪癖を表すものではありません。私はけして自分が嫌いではありません。ここ数年の自分の成長といえば、「寂しい」や「羨ましい」という気持ちを知ったことでしょうか。